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第1話 双樹館(上)        〈作:三和すい〉

「鷹生。お前、まだ部活に入ってないんだって?」
 と聞かれたのは、もうすぐ昼休みが終わろうとしていた時だった。
 聞いてきたのは上森和馬。中学の時のクラスメイトである。
 お互いに「鷹生」「和馬」と名前で呼び合う仲だが、高校に入って別々のクラスになってからはほとんど顔を合わせていなかった。鷹生が自転車通学、和馬がバス通学というのも疎遠になった理由の一つである。
 廊下でちょっと立ち話をすることはあっても、こうしてクラスに訪ねてくるのは珍しい。
 何かあったのかと思いながら、鷹生は素直にうなずいた。
「ああ。バイト始めたしな」
 鷹生の高校は親の同意があればバイトはできるし、部活動は強制ではない。なので、鷹生のように部活に入らずバイトに精を出す生徒は少なくない。けれど、バイトも部活も毎日あるわけではないし、時間をずらして両立させているクラスメイトも鷹生の周りには何人かいる。
 鷹生が部活をしないのは、単に入りたい部がなかったからだった。
「だったら、うちの部に入ってくれないか? あと一人足りなくてさ」
「あと一人って……ああ、部費の話か」
 鷹生の姉もこの高校に通っていたので、話は少し聞いていた。
 新しい部を立ち上げるには十人以上の部員が必要なこと。しかし、一度部ができれば最後の一人が卒業するまで部は存続すること。ただし、五月末の時点で部員が十人に満たなければ学校から出る部への予算が減らされること。
 五月のゴールデンウィークが過ぎたばかりで、月末までまだ日がありそうに思えるが、すでに一年生のほとんどは部活に入るか帰宅部になるか決めてしまっている。この時期に新しい部員が入ってくる見込みはゼロに等しい。
「頼む! 名前だけでもいいんだ」
 手を合わされ、鷹生は少し考え込む。
 部員が十人もいないのなら活動にそれほど力を入れているわけではないだろう。それに、和馬とは割と趣味が合う方だ。興味が持てそうな部ならバイトがない日ぐらい顔を出してもいいかもしれない。
「まあ、見学して面白そうだったら入ってもいいぞ」
「ホントか? ホントにいいのか?」
 和馬が顔を輝かせて身を乗り出す。
「けど、合わなかったら名前を貸すだけだからな」
「いいっていいって。それで十分。見学はいつにする? 今日なんてどうだ?」
「悪ぃ。バイトがあるんだ。明日でいいか?」
「もちろん。ここのところ毎日みんな集まってるし……って言っても、ほとんど雑談してばっかだけどな」
 思ったとおり、そう熱心に活動しているわけではなさそうだ。
 苦笑を浮かべながら、鷹生はふと肝心な点を聞いていないことに気づいた。
(そう言えば、和馬って何部だっけ?)
 前に聞いたような気もするが、記憶には残っていない。文化系だったのは間違いなかったはずだが……。
 鷹生は訊ねようとしたが、先に口を開いたのは和馬の方だった。

「ところで鷹生。お前、バイト何やってるんだ?」

「………………」
「………………」
「………………」
「………………鷹生?」
 和馬がわずかに眉を寄せる。それはそうだろう。話の途中で黙り込んだら、誰だって不審に思う。
 さらに和馬が何か言おうとした時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。窓際や廊下でおしゃべりをしていたクラスメイトたちがバタバタと自分の席に戻ってくる。
「じゃあ、明日の放課後な」
 と言い残して和馬も慌てて教室を出て行く。
 その背中を、鷹生は少し後ろめたさを感じながら見送った。


(何のバイト、か……)
 カウンターの上を拭きながら、鷹生は軽くため息をついた。
 『喫茶店の雑用係』
 説明すれば一言で済むことを、鷹生は――家族と担任の先生を除けば――誰にも話していなかった。昼休みのように友達とバイトの話になると、親の知り合いの店で働いていると言ったり話題をそらしたりして、いつも誤魔化している。
 もし学校の近くにある喫茶店で働いていると知られたら、絶対に見に来るだろう。
(そうしたら、この格好を見られるんだよなぁ……)
 白いシャツ。黒いベストに黒いズボン。
 首には赤いネクタイ。
 足に履いているのは黒い革靴。
 “ウェイターの服装”というのが、鷹生のバイト先――双樹館の制服だった。
 しかも、それっぽい安物ではない。手触りや着心地の良さから、服に詳しくない鷹生でも高いものだとわかる。革靴も「実際に履いた方がいいよ」と一緒に店に買いに行ったので、値札に数字が五つ並んでいたのを目にしていた。
 本格的なウェイターの格好。
 正直に言えば、恥ずかしかった。
 人外の執事が出てくるアニメや池袋を舞台にした小説が好きな姉が見たら、『こすぷれ』とか言って携帯で写真を撮られそうである。
 ファミレスみたいに普通のシャツとズボンとエプロンだけでいいんじゃないかとも思うが、この店ではそれが逆に浮いてしまうのだろう。
 鷹生は、あらためて店の中を見回した。
 店のスペースはL字型。もともとそういう形なのではなく、長方形の部屋を二つ使っているためだ。部屋と部屋をつなぐ大きな扉は常に開け放たれていて、どちらにも落ち着いた赤色の絨毯が敷いてあるので、一つの部屋のようにも見える。だが、本来は別々である証拠に、マントルピース付きの暖炉がそれぞれの部屋に備え付けられていた。
 部屋の広さは、約二十畳と三十畳。
 そこに並んでいるのは、白いクロスがかかったテーブルが十個と木のイスが四十近く。そして、L字のちょうど折れ曲がった部分にあたる場所にはバーのような木製のカウンターが備え付けられている。二部屋合わせて五十畳近くあるのだから、これだけの家具があっても狭くは感じないが、鷹生にはそれほど広いようにも思えなかった。
 働き始めた頃、その疑問を口にすると、
『ああ。それは天井が高いせいよ』
 と教えてくれたのは、キッチン担当の柏葉朱美だ。
 言われてみれば、天井は普通の家よりも高い。ざっと見ても三メートルはありそうだ。
 その真っ白い天井からはシャンデリア――と言うには簡素で小さな明かりがつり下げられている。
 どちらの部屋についている電灯も、広さに比べると少し心許ない大きさだ。しかも、置いてある木製の家具はどれも焦茶色で、壁の下半分も同じような色合いの板で覆われている。濃い色の物が多いこの部屋では、小さな明かりだけでは暗い感じになってしまいそうだが、そうならないのは大きな出窓がいくつもあるからだろう。南に面しているせいもあり、陽があるうちは意外と明るかった。
 そして、店の出入り口近くには大きな黒いピアノがある。
 古そうな見かけによらず自動演奏機能が付いていて、今もゆったりとした曲を奏で続けていた。
 学校や家とは違う、まるで日常から切り離されたような雰囲気に、鷹生は映画かドラマのセットの中にいるような気分になる。
 だが、すべて本物だ。
 ちゃんと喫茶店として営業しているし、この建物自体も大正時代に建てられた本物の洋館なのである。さすがに壁紙や絨毯は張り替えているそうだが、外の風景が少し歪んで見える窓ガラスは大正時代からずっと使われてきたものらしい。
 話を聞いた時はへぇと思ったが、鷹生はいまいち興味は持てなかった。
 やはりこういう古い建物は女性の方が好きらしく、常連客の多くが女性である。古い建物や遺跡が大好きな鷹生の母親も毎週のように来ているらしい。
 鷹生がここでバイトをすることになったのも、半分はその母親のせいだった。


 バイトの面接者と間違えられ、この洋館に引っ張り込まれた一ヶ月半ほど前。
 席の一つに座らされた鷹生の前には、見慣れない形の器具が並べられていた。
「これはキャディスプーン。お茶の葉を量るのに使うスプーンよ。こっちはストレーナー。お茶をカップにそそぐ時に使う茶こしで……」
 どこか楽しそうに説明しているのは、着物に袴にフリル付きの白いエプロンという和装姿のウェイトレス。中学生と間違われそうなほど小柄なこの女性が、鷹生をバイト希望者と思い込んで店に連れてきた張本人である。
「じゃあ、まずは仕事の説明からね」
 と言って、何故か茶葉の種類や道具の説明が始まってから、すでに二十分が経とうとしていた。
 どう断ろうかと考えながらも、「仕事内容や時給の話が先じゃないか、そもそもこっちのことは何も聞かなくていいのか」と面接に違和感を感じていると、カランカランとドアに付けられたベルが鳴った。ウェイトレスがふり返る。
「あ、小柴さん。いらっしゃい」
 自分と同じ名字に、鷹生も店の入口に目を向ける。
 と、そこにいたのは鷹生の母親だった。
「あら、鷹生。こんなところで何しているの?」
 まさか会うとは思っていなかったのだろう。目を丸くして驚く母親に、
「彼、今度ここで働くことになったので、仕事の説明をしているんです」
 和装姿のウェイトレスが笑顔で言った。
 “単なる通行人”が“バイトの面接希望者”となり、いつの間にか“新人アルバイト”に格上げされていることに鷹生は抗議の声を上げようとしたが、
「まあ。バイトしたいって、ここのことだったの?」
 勘違いした母親の言葉によってさえぎられる。
 確かに鷹生は「高校に入ったらバイトをしたい」と何度か口にしていた。
 しかし、それは「どこか」であって「ここ」ではない。普通に考えればわかりそうなものである。
 だが、ウェイトレスの言葉によって母親の思考はあらぬ方向にそれたらしく、
「ここなら、いいわよ」
「……え?」
「ここなら家からも近いし遅くまでやってないし、バイトやってもいいわよ」
 あっさり許してくれた上に、バイトに反対だった父親の説得までしてくれたのだった。
 その結果、鷹生の前には二つの道しか残されていなかった。
 この妙なウェイトレスがいる喫茶店でバイトをするか、それともバイトそのものをあきらめるか。
 丸一日悩んだ末に鷹生は前者を選び、こうして双樹館で働いているのである。
 もっとも心配していたほど変な店ではなかったし、住宅地の中にあるせいか目が回るほど忙しい日もなく、時給もそれほど悪くない。用事があれば休みはあっさりもらえるし、クラスメイトがするバイトの苦労話を耳にすると、本当にこれで金をもらっていいのかと思うくらいだ。
 嫌な点をあげるとすれば、今のところ二つだけ。
 この制服と、学校から近いということである。
 母親には「バイトをしている時間には店に来ない」という約束を取り付けることができたが、友達相手にはそれは無理だ。ここで働いていると言えば絶対見に来るだろう。
 自転車で十分もかからない距離なので、同じ高校の人間が一人くらい来てもおかしくはないのだが、今のところ客の中に知った顔はなかった。

 

【双樹館(下)に続く】

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