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大きなケヤキの木が並ぶ遊歩道を、鷹生は一人歩いていた。
住宅地を抜けて大きな公園まで続くこの道は、散歩コースとしては有名らしく、犬を連れたおじいさんやジョギングウェアを着たおばさんたちと何度もすれ違う。きちんと舗装されているので歩きやすいし、大きな道路から離れていて静かなところもいいのだろう。
天気が良くて風も暖かいので、今日は絶好の散歩日和だと言えるが、鷹生は散歩でこの道を歩いているわけではなかった。
この先に、四月から通う高校があるのだ。
通学には自転車を使うつもりだった。この道は「遊歩道」だが、道幅が広いので自転車に乗ったまま通ることもできる。
ただ、問題は雨の日だ。
自転車で十五分ほどの距離は、歩くにはやや遠い。最初はカサをさして自転車に乗ればいいと考えていたが、危ないからやめなさいと母親に反対された上に、「乗るならこれを着なさい」と、近所のショッピングセンターで買ってきた緑色の雨カッパを渡された。
駅まで自転車で行っている大学生の姉は、
「雨の日のバスって混むし、時間どおりに来ないのよねぇ」
と言ってえんじ色のカッパを大人しく着ているが、鷹生には抵抗があった。せめて、もう少しマシな色ならとも思うが、選んでくれた母親に他のを買ってくれとは言いにくい。
それなら歩くかと、試しに家から歩き始めてみたものの、高校までの道のりは想像していたよりも長かった。まだ半分も過ぎていないが、この倍の距離を雨の中往復しなければならないと考えただけで気分が暗くなってくる。
(やっぱり、バスにするかなぁ)
家からバス停までは少し歩くが、高校の前を通るバスはある。しかし、同じ高校に通う生徒でいっぱいだし、雨の日は途中のバス停では乗車できないほど混んでいる。
前に一度だけ味わった混雑を思い出し、鷹生はため息をついて空を見上げた。
遊歩道の両側に並ぶケヤキの木は、電柱ぐらいの高さがある。太い枝は道を覆うように伸び、その向こうには青空が広がっている。
まだ三月なので芽も出ていないが、五月にでもなれば緑の葉が生い茂るだろう。ひょっとすると、雨が降っても葉に遮られ、カッパを着なくても濡れないかもしれない……。
そんなことを考えていた時だった。
(ん?)
右側の景色が今までと違うことに、鷹生は気がついた。
遊歩道の両脇に並ぶ大きなケヤキの木。その向こうにあるのは普通の住宅地だ。レンガやブロックなど、壁の雰囲気が家ごとにがらりと変わっていた。
それが今は、葉を茂らせた生け垣がずっと続いていた。ぱっと見た感じでは、かなり先まで続いているようだ。
(何があるんだ?)
広い敷地にある建物と言うと、学校や病院、図書館や市役所ぐらいしか思いつかないが、そのどれもこの遊歩道沿いにあったような記憶はない。
少し気になり、鷹生は道の反対側に寄った。生け垣は鷹生の背よりも高かったが、道幅はそれなりにある。生け垣から離れて見上げると、その向こうにある建物の姿が目に入った。
(…………よ、洋館?)
石造りの建物に、鷹生はポカンと口を開けた。
ここは間違いなく日本である。それも住宅地のど真ん中。
そこに、大きな洋館が建っている。
鷹生の家の周りにも白い壁や煉瓦を使った西洋風っぽい家は多い。しかし、それとは雰囲気も大きさも明らかに違う。どうやら二階建てで、城やホテルのように大きいわけではないが、古そうなたたずまいは、母親がテレビでよく見ているヨーロッパの風景に出てきそうである。
(何でこんなところに洋館が?)
と、首をかしげたところで、母親が出かけに言っていたことを思い出した。
『あら、あの遊歩道を歩くの? だったら母さんも一緒に行くわよ。途中に素敵な喫茶店があってね。散歩の時によく寄るのよ』
一緒に歩く気にはなれず、さっさと家を出てきたので確かなことはわからないが、母親の趣味を考えると、この洋館がその喫茶店である可能性が強い。もっとも『喫茶店』と言うには大きすぎるような気もするが……。
とりあえず歩き始めると、先に大きな門が見えてくる。
門扉は開かれていて、そこから中が見えるんじゃないかと鷹生が足を少し速めた時、二つの人影が門から出てきた。
一人は、背の高い青年。
百八十センチはあるだろう。すらりとして足が長く、黒いベストに黒いズボンというバーテンダーのような格好がよく似合っている。
もう一人は、長い黒髪の女性。
桜色の着物に小豆色の袴、黒いブーツを履いている。まるで大学の卒業式に出るような格好だが、フリルが付いた白いエプロンを着ている。
背が低いので高校生くらいかと思ったが、整った顔立ちは大学生の姉よりも少し大人びている。二十代前半といったところだろう。青年も同じような年齢に見える。
二人は門の前で何か話し合っていた。
聞くつもりはなかったが、
「姉さん、これ本気で貼るつもり?」
青年の声が耳に飛び込んできた。ため息混じりの声に、鷹生はちらりと青年の顔に視線を向ける。縁の細いメガネをかけた青年の顔は表情が乏しく、どこか不機嫌そうにも見えた。
一方、黒髪の女性は輝くような笑顔で青年を見上げる。
「もちろんよ、シュウ。ほら、ちゃんと目立つように貼るのよ」
「はいはい」
気のない返事をしながら、シュウと呼ばれた青年は、手に丸めて持っていた白い紙を広げた。大きさからすると、細長いポスターらしい。
何かセールかイベントでもあるのだろうか、と何気なく張り紙に目を向けて……鷹生の足が止まった。
そこに書かれていたのは、『アルバイト募集』の七文字――のみ。
時給や勤務時間だけでなく仕事内容どころか連絡先すら書いていない。しかも、白い半紙に大きく筆で書かれているので、洋館の前だとかなり違和感がある。
「こんなんで応募してくる奴、いると思うの?」
少年の考えを代弁するように、青年が問いかける。
「当たり前よ。世の中インパクトよ! まずは目立つようにアピールしないとね」
「アピールする方向性が間違っているような気がするけど……だいたい募集してどうするのさ。今だって僕ら三人だけで十分なのに」
「その考えが甘いのよ! 人が増えれば、やれることだって増える。提供できるサービスの幅を広げて客のニーズに応えていかないと、世の中生き残っていけないわよ!」
「そうかな。この前始めた宅配サービスだって誰も利用してないし、結局は経費ばかりかかって赤字になるんじゃないの?」
「やってみなければわからないわよ。それに、ほら。さっそくバイトの面接希望者が来ているわ!」
くるりとふり返った女性が、真っ直ぐ鷹生を指さした。
「え?」
慌てて辺りを見回すが、鷹生の他には誰もいない。
つまり、彼女が“面接希望者”と言っているのは……
(俺のこと?)
「さあ、行くわよ」
女性は細い両腕が、鷹生の右腕に絡まる。腕に感じるやわらかい感触と、女性の髪から微かに漂う花の香りに気をとられ、鷹生は引っ張られるまま門の中に入り込む。
確かに、高校に入ったらバイトをしたいと思っていた。
しかもここは家からも学校からも近く、場所的には理想に近い。
――だが、どんな仕事なのか、時給はいくらなのか、そもそもいったい何の店なのかも聞いていないのに面接など受ける気はない。そもそも、ただの通行人を面接希望者と勘違いするような女とは一緒に働きたくない。
助けを求めて青年に目を向けると、彼は大きくため息をついて言った。
「ごめん。うちの姉さん、話を聞かない人だからあきらめて」
「………………あきらめられるかっ!」
腕を振りほどこうとするが、女性の力は予想外に強く、鷹生は洋館に向かってズルズルと引きずられていく。その様子をしばらく見つめていた青年も、二人の後を追って歩き出す。
静けさを取り戻した門の横には、小さな看板が立っていた。
そこには、少し丸みを帯びた文字でこう書かれている。
『ようこそ 喫茶 双樹館へ』
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